煌めき~特発性間質性肺炎と闘う母に寄り添った、ある娘の回顧録

難病指定されている「特発性間質性肺炎」を患い闘病生活を行った母のこと、その母を看病介護した娘の回想と回顧録が書かれています。。

脈の乱れ

2014年11月12日、

いつもの呼吸器科の日。

 

心電図の波形が

少し乱れていると言われ、

2週間後に循環器科を受診するよう

言われた。との連絡。

 

今週は呼吸苦しいし、

心臓もドキドキしていたから

まずいかなと思っていたんだけど。

と、言っていました。

 

この頃、

かなり苦しかったのでしょう。

 

 

2014年秋頃のこと

母からは、

相変わらず肺の穴は塞がらず、

苦しさが抜けない。

というメールが来る日々でした。

 

そんな中でも、

特に年末に向けて忙しさを増す仕事に

就いていた母は、

自分の体をだましだまし

勤務を続けているような状態でした。

 

わたし自身、

子供会の役員やパートに忙しく、

なかなか母のことを構ってあげる余裕が

なかったのも事実です。

 

 

 

穴は塞がらず…

2014年6月に入り、定期診察。

気胸の診断から約2ヶ月後の

レントゲンの結果、

穴は少しだけ小さくなってはいるものの

塞がってはいない様子です。

 

炎症は起きていないようので

そのまま経過観察となりましたが、

これ以上ひどくなってしまう場合は

胸腔ドレーンを行うと

言われたそうです。

両肺に気胸が見つかる

平成25年(2014年)、4月16日。

定期的な通院から戻った母から、
電話連絡がありました。

両肺の気胸が判明したので
しばらく会社を休むように言われたと。
自宅で1週間は安静にして
穴が自然に塞がるのを
様子見するのだというのです。

「今までとは少し違う感じの
苦しさがあったんだよ。」


当時、母は静岡県でひとり暮らし。
パートで働いておりました。
わたしが2才のときに両親が離婚しており
わたしが進学、結婚により家を出てからは
(卒業後、就職で三年間ほどは
実家に戻った時期がありますが)
彼女はずっと一人で生活していました。

わたしは埼玉県在住、パート勤務。
上の子が小学2年生、
下の子が幼稚園の年少。


新学期が始まったばかりで
すぐに駆けつけることは難しく、
無理せずゆっくり休んでね。
ゴールデンウィークには帰るから。

というのが精一杯でした。

気胸という病気

気胸とは、肺に穴が空くことで
空気が漏れ出て、その空気が
肺腔と呼ばれる肺の中にたまってしまう
状態のことを言います。

肺は硬い肋骨の中に守られているため
肺から出た空気は外に出られず、
その空気が肺を圧迫してしまうのです。

明らかな原因がなく発生することもあり、
小さな穴であれば自然に治癒します。

気胸により胸の痛みや咳、
呼吸困難などが起きますが
目立った症状がなく
レントゲンで判明することもあります。

自然に穴がふさがらず
空気が漏れ続けているときや、
片側だけでなく両肺に発症したときは
注意が必要です。

非結核性肺抗酸菌症のこと

「非結核性抗酸菌症」

特発性間質性肺炎が判明する前に
母についていた病名です。


結核性抗酸菌症とは、
結核菌以外の、
水中や土壌など
どこにでもいるような菌に
感染してしまうことで、
肺に支障をきたす病気です。

マック菌という菌への
感染であることが多いため、
MAC症(肺マック症)とも
呼ばれるそうです。


結核と違い、
かかってしまっても
周囲の人には移りません。

咳や息苦しさの症状があるものの、
比較的進行は緩やかで
治ることもあるとのこと。


「どういうわけか、中年以降の、
やせ形の女性がこの菌に好かれやすくてね~」
と、主治医の先生は話しておりました。

ちなみに、母は条件ど真ん中でした…


ただ、あとから思い返せば
やはり心に引っかかるのが、
その当時、様々な検査をしたのに
原因菌が判明しなかったという点。

「原因菌が何か、
はっきりは分からなかったのよ。
菌がこれだ、と断定はできないけれど
結核性抗酸菌症だろう…って。」

母が話していたこの病名は
10年前はまだあまり知られておらず
わたしにとっても初めて聞く名前でした。

へぇ~~そういうのもあるのか。
漢字が並んだ難しい名前だな。
くらいの認識で、
当時は聞いていた記憶があります。


先にも書いた通り、
比較的症状が軽微なときもあり
抗生剤と咳止め、
定期的なレントゲンと血液検査で
母はかなりの期間を、
問題なく過ごすことになります。


おそらくこの当時から
間質性肺炎だったのだろう。と、
後に医師から宣告されることになります。