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特発性間質性肺炎の介護回顧録

特発性間質性肺炎という難病の母を、子育てとのダブルケアで介護した記録です。

息子の骨折その2

骨折の翌日、
近所の整形外科を受診しました。

当日の処置が適切だったようで、
ギプスの固定位置もよく
巻き直しが必要ないとのこと。

手術等せず、
そのまま自然にくっつくのを
待つことになりました。


腕に力がなく、
松葉杖を使うことができないので
自力の移動ができません。

この日から約1ヶ月半、
息子は幼稚園を休み
わたしは土曜日以外のパート出勤を
しばらく休むことになりました。

お姫様抱っこでトイレに連れていくのは
さすがに腰にくる日々でした…

息子の骨折その1

平成25年4月20日

息子が右足の頸骨と腓骨を
骨折してしまいました。
膝の下の骨2本です。

滑り台のふちに脚が引っ掛かり、
そのまま後ろから滑ってきた
お友達の力が加わった状態で
バキッとやってしまいました。


日曜日だったため、家から少し離れた
休日診療をしている整形外科を受診し、
レントゲンの結果、骨折が判明したので
その場でギプスを巻かれました。

そこで言われたのが、
明日いちばんで、今後通いやすい
家から近くの整形外科に行くこと。
今夜足の指先に腫れや変色、
耐えられない痛みになった場合は
迷わず救急外来に連絡をすること。


痛みに耐える息子とともに、
眠れない夜を過ごしました。

間質性肺炎という病気

一般的な話としての

間質性肺炎という病気について

簡単に書いてみたいと思います。

 

一般的ないわゆる「肺炎」が

肺胞の炎症によって起こるのに対し、

間質性肺炎」は、肺胞や気管支をとりまく

まわりの組織が炎症などを起こし

硬くなり、機能が低下します。

 

酸素と二酸化炭素の交換が

うまくできなくなってしまうので、

乾いた咳、息苦しさがあります。

 

病状が進むと、呼吸困難で

日常の動作が難しくなったり

心臓に負担がかかることで

高血圧が引き起こされたりします。

 

間質性肺炎になってしまう原因は

薬剤や、肺に悪い粉塵、

インフルエンザなど

いろいろあるのですが、

原因がはっきり判明しないものを

特発性間質性肺炎といいます。

 

特発性間質性肺炎は、

国の難病に指定されています。

 

非結核性肺抗酸菌症のこと

「非結核性抗酸菌症」

特発性間質性肺炎が判明する前に
母についていた病名です。


結核性抗酸菌症とは、
結核菌以外の、
水中や土壌など
どこにでもいるような菌に
感染してしまうことで、
肺に支障をきたす病気です。

マック菌という菌への
感染であることが多いため、
MAC症(肺マック症)とも
呼ばれるそうです。


結核と違い、
かかってしまっても
周囲の人には移りません。

咳や息苦しさの症状があるものの、
比較的進行は緩やかで
治ることもあるとのこと。


「どういうわけか、中年以降の、
やせ形の女性がこの菌に好かれやすくてね~」
と、主治医の先生は話しておりました。

ちなみに、母は条件ど真ん中でした…


ただ、あとから思い返せば
やはり心に引っかかるのが、
その当時、様々な検査をしたのに
原因菌が判明しなかったという点。

「原因菌が何か、
はっきりは分からなかったのよ。
菌がこれだ、と断定はできないけれど
結核性抗酸菌症だろう…って。」

母が話していたこの病名は
10年前はまだあまり知られておらず
わたしにとっても初めて聞く名前でした。

へぇ~~そういうのもあるのか。
漢字が並んだ難しい名前だな。
くらいの認識で、
当時は聞いていた記憶があります。


先にも書いた通り、
比較的症状が軽微なときもあり
抗生剤と咳止め、
定期的なレントゲンと血液検査で
母はかなりの期間を、
問題なく過ごすことになります。


おそらくこの当時から
間質性肺炎だったのだろう。と、
後に医師から宣告されることになります。

間質性肺炎が判明する前は

母は、平成26年に
特発性間質性肺炎
病名を宣告される以前から、
定期的に呼吸器科を受診していました。

平成18年に一度体調を崩し、入院。
そのときは肺炎ということでの入院でした。
退院後は、1ヶ月おき程度の通院。
症状が治まっていた時期は
3ヶ月に1回程度の受診だったことも
あったようです。


様々な検査の結果、
「非結核性抗酸菌症」という病名がつきました。
MAC症(肺マック症)とも呼ばれているものです。


しかし、
「痰の検査も結核の検査も
いろいろやったんだけどね、
原因菌が分からなかったのよ。」
と母は当時話していました。


平成25年夏に肺炎、
26年春に両肺の気胸
その後症状が急に進行し、のちに
特発性間質性肺炎であることが
判明することとなりますが、
そこに至るまで、実に8年。


緩やかな進行だったのは
幸いなことでしたが、
そのせいで正しい病名が
隠れてしまっていたのかな、とも思い
やるせなさを感じます。